「松竹青々」
「松竹青々」(しょうちく せいせい)
「松や竹は青々としている」
筆・妙心寺派第31代管長 究竟窟(くきょうくつ)・西片擔雪(義保)老大師
1922年新潟県生まれ。1946年出家、円福寺僧堂に掛搭。1954年「究竟窟」となり1971年円福寺僧堂師家、2002年第31代妙心寺派管長に就任。2006年遷化(せんげ)
円福寺僧堂では、当寺先住中道承謙和尚の後輩にあたり年齢も近かったので交流が有った。
この「松竹青々」は、 春に芽吹いた新緑が青々しく茂る5月、6月をイメージする禅語で、昭和47年に発刊された「禅林句集」(柴山全慶老師が選んだ禅語集)の中で14字熟語として紹介されています。
三更月照幽窓外 松竹青々碧欲流 (三更月は照らす幽窓の外、松竹青々として碧流れんと欲す)
しかし、前回の「雪燈…」と同様、内容、出展、背景が全く分からないので、私なりに情景を思い浮かべてみました。
“真夜中 山奥のいおりの窓の外の月は 青々とした松竹を照らし その緑は流れる様に美しい”
そして、「禅林句集」には、「閑寂清絶の境。又是れ悟り丸出しの妙景。」と、解説されています。
つまり「雪燈…」と同様のシチュエーションで、自然の摂理を知り美しさを体感することと、己を知った悟りの境地は全く同じだと説いているのでしょうか。
お断り。
長らくお付き合い頂きました「床の間 Now・Currently on display」は、今回を持ちまして一旦休止とさせて頂きます。有難うございました。
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