床の間 Now・Currently on display 2020年10月

「無事是貴人」

「無事是貴人」(ぶじ これ きにん なり)

(特別なことを)何もしない人が貴人(悟った人)である

これは、禅語の中でも特に有名で、中国唐代の臨済宗開祖の語録「臨済録」に出てきます。

この後に、「ただ造作すること莫れ。ただ是れ平常なり」と続きます。

人には本来仏性が有り、悟りを追い求め右往左往するのではなく、自然体で自己を見つめ平常を保つことが悟りへの近道だ、と説いています。

臨済宗の基本的考え方で、「看却下」や白隠禅師坐禅和讃「…遠く求むるはかなさよ…」と共通します。

筆・天龍寺第241世 関牧翁(せき ぼくおう)、号は集瑞軒(しゅうずいけん)

1903年群馬県生まれ。1930年天龍僧堂に掛搭。関精拙から法を継ぎ「集瑞軒」となる。天龍僧堂師家、等持院住職を兼ねる。1946年第8代天龍寺派管長に就任。1991年遷化(せんげ)

私は、約60年前、先住の父に連れられ、本山の奥の部屋で鼻筋の通ったシャキシャキ喋る人と3人でお茶とお菓子を食べたことを何となく覚えています。

型破りな自由な発想で、時代の波を先取りして山内をアスファルトの駐車場にしたり、曹源池に鯉のエサやり場を設置するなど良い悪いは別として、「嵐山」を日本を代表する観光地に導いた一人だと思います。

コメント

タイトルとURLをコピーしました