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今年も、コロナ禍のなか恒例の施餓鬼会を開催しました。
施餓鬼とは、餓え苦しんでいる餓鬼にも施すということで、世界中の全ての命に感謝する法要です。
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私たちの命は、肉や野菜などあらゆる命を頂くことにより支えられ、それら全ての命に感謝し供養することがその目的です。
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そして、今自分や家族が健康に暮らせるのは、両親や祖父母、またずっと以前からの先祖や様々な先人のお陰であり、こうした人々にも感謝し供養する場でもあります。
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誰もが、自分一人で生きているのではなく自然や多くの人々に支えられ生かされていることを、実感する最良の機会です。
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しかし、こうした現代的解釈ではなく、科学や医学が未熟な時代に施餓鬼会が定着した背景には、恐ろしい疫病と鬼が同一視されてきたことにあると私は考えています。
「貴方(鬼)に洗米と清水を捧げますので、私には疫病をうつさないで下さい!」と現世利益を切実に願った昔の人たちの思いを感じとりました。
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