2010年・旧本堂のジオラマが完成

応挙が金剛寺本堂に56面にわたり障壁画を寄進した時の状況を再現した模型ができました。

2010年(平成22年)8月16日 月曜日 京都新聞丹波版より

「亀岡・ゆかりの金剛寺旧本堂 応挙の美、模型で再現」

江戸時代の画家・円山応挙(1733~95)とゆかりの深い金剛寺(亀岡市曽我部町)の旧本堂模型を、近くに住む男性が3ヶ月がかりで完成させた。模型は20分の1の大きさで、現在は東京都の博物館が保管する応挙作のふすま絵などを精密に再現しており、空間を巧みに利用して描いた大作の魅力を立体的に伝えている。
 応挙は曽我部町出身で、同寺で幼少時代を過ごした後、京に出て大成した。ふすま絵は、最晩年の1788(天明8)年に疎開した際、墨書きして寺に寄進したとされる。
 しかし、1904年(明治37)年に重文指定を受け、「山水図」と「波涛図」は東京国立博物館に寄託されるなど、現在は本堂の改修時に復刻された波涛図の複製が残るだけだ。
 そこで、市民でつくる「円山応挙顕彰会」が、「本来の様子を再現したい」と模型の制作を企画。同会員で模型が趣味の林美嗣さん(64)が、今年4月から3カ月かけて作り上げた。
 模型は縦約85㌢、横約95㌢、高さ約35㌢。
応挙が床の間とふすまの全56面に描いた山水図や波涛図は、ヒノキの木片に本物の縮小コピーを張って再現。畳はボール紙に緑色のビニールテープを張って表現するなど細部にもこだわって作り込まれている。
 同顕彰会の理事を務める中道承碩住職(58)は「応挙はふすまの位置などに細かく配慮した上で水墨画を描いた。模型は立体的で平面では伝わりにくい、彼の意図した空間の美意識を感じてもらいやすい」と話す。 (以下省略)

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