境内の様子

本山天龍寺を開いた夢窓国師の師匠に当たる仏国国師を開山とし、1289(正応2)年に開かれ、玉堂和尚が1738(元文3)年に中興再建しました。

鐘楼を兼ねた山門は、1771(明和8)年盤山和尚の時代に建立され、「亀岡の自然100選」に指定されています。

中興から約260年が経過し、老朽化に伴って本堂・庫裏を全面改築、1999年(平成11)年11月23日、第15世承碩和尚の晋山と併せて落慶・晋山法要を営みました。

楼門をくぐり左側の景観・・・手前は地蔵堂、後方は築山(つきやま)と十三重の塔。

楼門をくぐり右側の景観・・・白梅は、樹齢200年以上の古木で、少し離れたところの紅梅とともに中興当時の記念植樹ではないかと伝えられています。「亀岡市の銘木100選」にも指定され、毎年多くの実をつけています。

平和観音菩薩・・・第2次世界大戦フィリピンルソン島で戦い、帰還した人たちで組織する「六一戦友会」が、平和への祈りを込めて建立。部隊は、京都・滋賀などの出身者約4千人で構成されていたが、帰国したのは軍馬死守の任に当たった約100人。毎年6月2日、フィリピンから移築した「戦友・愛馬の碑」の霊前で慰霊祭が営まれます。

本堂の様子

仏間の須弥壇・御宮殿は、応挙の子孫に当たる應鶴からの寄贈。そこに安置された本尊釈迦牟尼佛の視点が、本堂6室に描かれた「山水図」「波濤図」「群仙図」の視点にもなっています。

新本堂は、旧本堂の間取りと同じですが、回廊部分を増やし、仏間前面三室を分割する襖をなくし、天井を高くし、床と畳の段差をなくしたことにより、様相は大きく変わりました。

復刻「波濤図」 (8 襖 ) 。本物は、東京国立博物館に寄託していますが、改築を記念して画聖圓山応挙顕彰会から寄贈され、常時拝観していただけます。

応挙一族の位牌。上段右から2番目「円誉無三一妙居士」が応挙の戒名。上段最右「本與圓山歓嶺居士」が父藤左衛門。その下「心與圓覚貞正大姉」が母。その左隣「明與圓室妙鏡大姉」が妻。応挙の左隣「寰與彰光應瑞居士」が長男應瑞、その下が妻幸。上段最左「天與響山應震居士」が次男應震、その下が妻いと。